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編集者兼ライターのピーターが気になったあれやこれ、日々感じたことについて。主に音楽・ゲーム・漫画・映画・アニメなどなど。Twitter@PeterK723

◆中学生の頃、吹奏楽部だったこと 02◆

前回の記事のあらすじ】

吹奏楽部に入部したばかりの頃、

顧問のM先生が私たちに投げかけた

「バカ」という言葉に怒りと衝撃を覚えた私は、

そのことを校長先生にチクったのですが…

 

 

 

「バカ」という言葉にM先生が込めた意味

 

 

 

それは正直、この記事を書いている今でも

「これだ!」という理由は分かっていません。

ただ、今になって思うのは、

私たちはとても視野の狭い短絡的な考えの子供だったということ。

 

 

入学した当初、うちの中学校の吹奏楽部は

「弱小校」という言葉を使うのも憚れるような部でした。

どちらかというと「楽しく楽器を演奏しよう」みたいな雰囲気で、

「金賞! 全国大会! 普門館!!」

という雰囲気では全くありませんでした。

 

「楽しく」なんて言いながら、部内には学年単位でも、

上級生から下級生に対して(これは学校全体に蔓延していた)も

いじめがありました。

 

そんな私たちの雰囲気を感じ取って、

先生は「バカだ」と言ったのかもしれません。

そんなことをしている暇があるなら、練習しなさい。

その方が有意義だ…と。

 

もしかすると、「バカ」という言葉を放った後に

私たちが子供っぽく怒りを露わにすることも

先生は分かっていたのかもしれません。

 

 

 

校長先生からの言葉もあり、

「バカ」と言われて怒る姿こそまさしくバカ

なんてことに気付かされた私は、

この経験をきかっけにM先生が大好きになりました。

 

今まで気付かなかったことに

気付かせてもらえたからなのか、

M先生の考え方に納得&共感したからなのか、

あの教師らしからぬ冷徹な物言いが

好きになってしまったのか……

 

 

 

明確な答えは、当時も今も出せていないけど、

それでも先生の「バカ」という言葉には深い意味があり

愛情あってこそのものなんだろうと

解釈することができました。

 

 

 

そして、M先生が赴任&私が入部したその年から

うちの学校は大会圏外校から

県大会での金賞は当たり前、地方大会にも出場する

いわゆる「強豪校」へと進化を遂げました。

 

 

言うまでもなく先生のおかげです(信者)

 

 

先輩たちが卒部した頃、私は副部長になり、

低音楽器(チューバ・バリトンサックス・バスクラリネット)の

パートリーダーというポジションにつきました。

おかげで、先生と接する機会も増えました。

 

 

金賞や県大会出場という「結果」が出たので、

M先生に刃向かう部員は居なくなりました……

が、M先生の口調は相変わらず鋭かったため、

不快感を示す部員は少なからず居ました。

 

 

そんな時は、M先生の言葉を私なりに解釈して

「きっとこういう意味だよ」と、

他の部員に伝えることもしていました。

(頼まれてもいないのに…^^)

 

「副部長だったから」というのも大きかったですが、

単純に大好きなM先生が悪く言われていたり

誤解されたままなのがすごくすごく嫌だったから。

(どの口が…^^)

 

 

 

 

 

そして私は、M先生のことが大好きなまま

中学校を卒業しました。

 

M先生は卒部する一人一人に向けて

「部活通信」を作っていて、部活の最終日に手渡されました。

内容や文字量は部員によって様々なのですが、

私は勝手に、これは先生からの「信頼の証」だ…と思っています。

 

いつでも読み返せるように写メも撮っていますが、

現物は、今でも実家の私の部屋に置いてあります。

わら半紙なので、色褪せてて相当ボロボロですが……

 

懐かしさに浸りたくなった時や

仕事に躓いて自信がなくなった時なんかに、

何度も読み返しました。

きっと年末にも実家に帰ったら、手に取ることでしょう。

 

 

 

その後、進学先の高校にも吹奏楽部はありましたが、

「M先生が顧問でないと意味がない」と思い

吹奏楽部員としての私の生活は3年間で幕を閉じました。